(1)経済協力
背景・現状
日本のオマーンとの貿易協力は、当初はエネルギー分野、特に石油やガスの購入を通じて発展し、過去数十年にわたり着実に成長を続けてきました。歴史的な原油価格の高騰とオマーンの急速な経済成長により、日本とオマーンの貿易額は2008年にピーク時の約100億ドルに達しています。2009年は、世界金融危機による原油価格の下落の影響を受け、日本の対オマーン輸出額は23億5000万ドル、対オマーン輸入額は33億2000万ドルとなり、貿易額は40%減少しました。しかし、2010年には世界金融危機以前の水準に回復しています。
日本のオマーンからの主な輸入品は、原油と天然ガス(LNG)です。3位は2009年にソハールで操業を開始したアルミ精錬所から輸入されるアルミニウムです。4位の石油関連、5位のイカ、6位のインゲン豆、7位のマグロ(冷凍)が輸入品目としてランクインしています。特にオマーンの冬に収穫されるインゲンは、日本の冬市場で9割のシェアを占めています。
日本の主な輸出品目は、自動車、機械、電気製品などです。オマーンの街角では日本車をよく見かけますし、機械や電気製品も品質や信頼性から日本製を愛用している人が多いようです。また、あまり知られていませんが、オマーンは香港に次いで2番目に日本のスイートメロン(マスクメロン)を輸入しています。
日本はオマーンにとって、開発援助や技術協力の分野で長年のパートナーであり、オマーンに対する政府開発援助の最大の提供国でもあります。日本の援助は、主にJICA(国際協力機構)が実施する技術協力や研修プログラムの形で実施されており、オマーンの人材育成、システム構築、社会経済発展への貢献が高く評価されています。
このような背景から、500人以上のオマーン政府関係者が日本でのJICA研修に招聘されてきました。現在では、アリ・アルスナイディ スポーツ担当大臣をはじめ、多くの方が官民両部門の要職に就き、国のさらなる発展のために積極的な役割を担っています。
また、JICAは技術協力の一環として、同国の発展にとって重要と思われる様々な分野に日本の専門家を派遣しています。石油産業協力センター(JCCP)との共同研究の成果として、2010年に油田随伴水処理パイロットプラントが完成し、石油開発オマーン(PDO)でモハメド・ビン・ハマド・ビン・サイフ・アル・ムヒ石油ガス大臣が出席して開所式が行われました。環境安全保証や人材育成など、オマーン側で必要とされる知識やノウハウの移転に成功しました。
経済関係の強化
オマーンでは経済の多角化が進み、その先進技術を生かした広範な開発計画に日本企業の寄与が求められています。日本は2010年までに累計150億円以上の開発援助を実施してきました。研修員受入558人、専門家派遣158人、調査団派遣1250人、開発調査も36件に上るなど、日本はオマーンにとって重要な援助国となっています。また、オマーンにとっての輸出の主要貿易相手国は中国や韓国、そして日本であり、石油や天然ガスを日本に供給しています。また、油田に関連して日本の住友商事はオマーンの油ガス田から発生する随伴ガスを使った水素製造の事業化に着手しているなど、日本企業も進出しています。一方で日本は自動車製品などをオマーンに輸出しています。
日本企業はこれまで、石油・ガス、LNG、海運などオマーンの主要産業プロジェクトに参画しており、最近ではソハール重工業地区での製油所、化学肥料プラント、鉄直接還元プラント建設など、オマーンの経済発展に利する計画も共に進められています。また、今後予定されているドゥクム工業団地でのプロジェクトにも、日本の参加が期待されています。
近年、日本企業は発電所事業に関心を持っており、日本企業が参画するコンソーシアムは2010年3月にバルカ3発電所とソハール2発電所(各発電容量744MW)のIPP案件を受注しています。また、再生可能エネルギーに積極的なオマーンは、太陽エネルギーを含む代替エネルギー開発の大きな可能性を秘めた日本の環境エンジニアリング技術に高い関心を寄せています。
日本政府は、日本とオマーンの良好な経済関係をさらに強化し、日本とオマーンの投資・貿易協力のためのより良い環境を醸成したいと考えています。この目標を達成するために、日本-GCC自由貿易協定および日本-オマーン二重課税回避条約の早期締結が望まれ、日本はこの点で最大限の努力を続けています。
(2)文化
海洋国であるオマーンは、古くから多くの国々と交流があり、国民は独自の伝統と文化を維持することに誇りを抱いています。オマーンは近年の発展過程で日本をモデルの一つと見做しているとともに、王室が君臨する国として、同じ皇室を持つ日本にも親近感を抱いています。こうした背景から、日本映画の上映、日本食の紹介、茶道・和太鼓の実演、各種セミナー・講演会などが、大使館などを中心に開かれてきました。また、さまざまな招待制度による人的交流、大学間の学術交流の促進、留学のための来日支援も行われています。
2001年、マスカット近郊のナシーブ・マスカット公園の敷地にオマーン平安日本庭園が開園しました。GCC諸国では最初の日本庭園です。2010年は、スルタン・カブース・ビン・サイード国王陛下の即位40周年を記念して、ファッションショー「森英恵オートクチュール」や舞踊団「菊之会」による日本舞踊の公演など2011年9月には日本人女性書道家・矢部澄翔がオマーンを訪問し、18の学校や機関で書道の指導やパフォーマンスを行っています。2022年11月に国交樹立50周年を記念してオマーンで開催された軍楽祭に陸上自衛隊の音楽隊が出演し、9000人の聴衆の前で和服姿の女子隊員が歌唱して好評を博しました。
こうした交流には、仲立ちした多くの人の努力が支えとなってきました。たとえば遠藤春男教授(元JICA専門家)は、オマーンと日本の友好関係強化への多大な貢献が認められ、2007年9月9日にスルタン・カブース文化・科学・芸術勲章(一等)を授与されました。
2010年には、東京大学に「スルタン・カブース講座」が設立されました。この講座は、スルタン・カブース・ビン・サイード国王陛下の寛大なご寄付により、広い意味での中東研究を促進することを目的として設立されています。10月6日には東京大学で式典が行われ、来日中のラーウィヤ・ビン・サウド・アル・ブサイディヤ高等教育大臣と浜田淳一東京大学総長の間で、この旨の合意書に署名が行われました。本講座は、日本とオマーンの二国間関係にとって、陛下の即位40周年を記念する最も具体的な事業となりました。
2008年4月の文化遺産大臣サイード・ハイサム・ビン・タリック・アル・サイード殿下の訪日の際に発表された「日本とオマーンの共同声明」に基づき、日本政府とオマーンは現在、国家公文書管理などの分野で具体的なプロジェクトを共同実施しています。また、2010年3月には、マスカット国際ブックフェアに出展された296冊の書籍が日本政府からオマーン政府に贈呈されました。
〜文化人の招聘による最近の来日(肩書きは来日時)〜
(1)ファウジア・ビン・ナーセル・アル・ファルシ 教育省教育課程担当次官(2003年)
(2)ムナ・マフフズ・サレム・アル・マンタリー国務委員(2007年)
(3)サミラ・ビン・モハメド・アル・ムーサ国務委員(2008年)
(3)外交
日本がオマーンと正式に外交関係を結んだのは、スルタン・カブース・ビン・サイード国王が即位した1972年のことです。しかし、日本とオマーンの交流は国交樹立のはるか以前から始まっていました。
1924年、志賀重昂という一人の日本人地理学者が世界一周の旅の途中、マスカットでイギリスの保護国であったオマーンのスルタン・タイムール国王に謁見しています。志賀の話に興味を持ったスルタン・タイムール殿下は、退位後の1936年に日本を訪れ、日本女性である大山清子と結婚して神戸に何年も滞在し、ブサイナ・ビント・タイムール王女をもうけました。アル・ブサイディ家と日本との間には、それ以来血のつながりがあるのです。
日本は1971年にオマーンを正式に承認し、1972年5月にはオマーンと国交を樹立しました。1980年10月、在サウジアラビア大使が兼任する形で日本からマスカットへの外交使節団を設立し、1983年3月には初の大使が派遣されて本格的な大使館に格上げされました。
1994年11月には、皇太子同妃両殿下がオマーンを訪問し、両殿下は国賓級の待遇で迎えられました。この歴史的な御訪問は、両国の関係強化の大きなステップとなりました。
その後は友好的な関係が続いており、親日国として知られます。2011年3月の東日本大震災に際しては、当時国王であったカーブース・ビン・サイードやハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード、副首相ファハドを始めとするオマーン要人が総理大臣(当時)菅直人や外務大臣松本剛明にお見舞いの書簡やメッセージを送ったほか、我が国に対するLNGの追加供給や1000万米ドル(約8億円)の義援金を提供しました。また、オマーンの王族系の企業から迅速な支援のために福島県南相馬市の落合工機に26億円相当の発注がされて話題となりました。
2014年1月には総理大臣として初めて安倍晋三がオマーンを訪問しています。カーブース・ビン・サイード国王と首脳会談を実施して、シリア情勢や北朝鮮核問題について意見交換がなされたほか、「日本とオマーン国との間の安定と繁栄に向けた包括的パートナーシップの強化に関する共同声明」が発出されました。この共同声明では、政治・安全保障・経済・文化などあらゆる面での二国間協力の促進が明記されています。続く2020年1月にも安倍晋三はオマーンを訪問して新国王ハイサム・ビン・ターリク・アール=サイードと首脳会談を実施。前国王の崩御に弔意を伝えるとともに、協力関係の維持が確認されました。
(4)協会・議員連盟
①オマーン日本友好協会
オマーン日本友好協会(OJFA)は、オマーンと日本の文化、社会、経済、芸術、科学の分野における関係を促進するために1974年1月に設立され、3月に故スルタン陛下個人代理H.H.H.を名誉会長として正式に発足しました。1974年1月、故スルタン陛下個人代行H.H.サイード・トゥワイニ・アルサイードが名誉会長、スルタン陛下対外連絡担当特別顧問H.E.オマー・アルザワイ博士が副名誉会長兼理事長、スルタン陛下経済計画担当顧問H.H.モハメド・アルズベイルが副名誉会長に就任し、3月に正式に発足したものです。国際友好協会としては最も長い歴史を持っています。陛下の即位40周年を機に協会を改組し、重要な実業家を招き活動を充実させました。今後は文化面だけでなく、経済面でも活発な活動が期待されています。
②日本・オマーン協会
日本・オマーン協会は、1986年5月、藤尾正之影響力政策研究会会長(当時の呼称)によって結成されました。1994年に西日本支部を発足させ、数回にわたりオマーンに文化団体を派遣しました。2007年5月5日、当時の国民経済大臣、アーメッド・ビン・アブドゥルナビ・マッキ氏が来日したのを機に再び活動しています。
③日本・オマーン友好議員連盟
日本・オマーン友好議員連盟は2001年11月に設立されました。2007年5月5日、当時の経済大臣アーメッド・ビン・アブドゥルナビ・マッキ氏が来日した際、改めて設立記念式典を開催し、活動を活発化させています。会長に衛藤征士郎衆議院副議長、事務局長に西村康稔衆議院議員が就任しています。議員レベルでの交流を通じて、日本とオマーンの友好親善を促進しています。
④広島・オマーン友好協会
1994年に第12回アジア競技大会が広島市で開催された際、広島市の各地区が参加国を支援しました。 広島県安佐南町がオマーンチームを応援したことから、「広島・オマーン友好協会」が設立され、オマーンとの文化交流を積極的に行っています。2010年11月から12月にかけては、カブース国王即位40周年を記念し、会員17名がオマーンを訪問しました。